家づくり関係のお話

妻籠宿・奈良井宿・馬籠宿に視察に行って来ました。

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木曽ではヒノキが有名です。
その木曽路の旅では、大名行列が行われていた時代から、
宿場町が沢山あったそうです。

今回、その宿場町の視察に行って来ました。
今でも、当時の面影が色濃く残る場所として、

奈良井宿・妻籠宿・馬籠宿が代表的に挙げられます。
これらは、外国人が好んで観光地として訪れるようですが、
私達日本人の心の里として訪れる事もお勧め出来ます^^

 特にその中でも、私が気に入ったのは、妻籠宿でした。

妻籠宿
当時の様子が未だに色濃く残る、妻籠宿

宿場町として、メイン通りの両脇には、宿屋と飲食店、おみやげ屋さんなどが今でも
営まれています。昔から、この通り沿いに 人々は、店を出していたそうです。
当時は、櫛屋さん、飴屋さんなど、様々なお店があったそうです。

妻籠宿
妻籠宿の酒屋林亭の囲炉裏

今でも、内部が保存され公開されている、酒屋さん。
どうも、この町で一番大きな屋敷のようですが、お酒で大成功をおさめた家との事です。
今でも、この場所の写真を撮ろうと、写真家さんや愛好家の方が沢山訪れる場所だそうです。

今回は、夏と言う事で、上の写真から直射日光は降り注いでいませんでしたが、
冬が訪れると、直射日光が降り注いできて、囲炉裏の煙にが綺麗に映し出され、
絶好の撮影ポイントとなるようです。

昔は囲炉裏のこの撮影の場所に、家長が座り、右に母親、
左に長男、右前の板間に嫁さん、向かい側にその他の子供達と、
座る順番も決まっていたとの事。

向こう側に見える屏風仕切りは、家長に風で囲炉裏の煙が行かないように、
立てられているそうです。

昔は、「家長を大事にする」と言うことが、大きな家では行われていたようです。

 

妻籠宿2
妻籠宿の酒屋林亭のヒノキの水拭き仕上げ(?)

この住宅、9割型ヒノキで出来ているそうです。
今ではなかなか実現出来ませんが、当時でもヒノキは貴重な木で、
この地域では、年貢の変わりに、ヒノキをおさめていたそうです。

ですから、ヒノキは一般庶民が勝手に使うことが出来なかったそうです。
江戸幕府が崩壊し、明治に映る際に、この住宅の林さんが、
チャンスを逃さず、ヒノキを切り出し、この住宅を建てたそうです。
(ビジネスの才覚のある人は、何時の時代もチャンスをモノにするものですね。。。)

 囲炉裏のそばにある、上の場所。
写真の中では、とてもツヤのある間仕切りが写っています。
前に立つと、まるで鏡のように自分の姿が映るほど、綺麗に反射しているのですが、
実はこれ、特別な事は何もせず、家の人が水拭きを繰り返した結果だそうです。

ヒノキなどの樹木からは、樹液と言うものが出てきます。
これを水拭きをして綺麗に拭いていくと、何年も経つとこのツヤが実現するようです。

今では毛嫌いされる、樹液ですがここまでくれば立派なものですね!

馬籠宿
坂道に立ち並ぶ、馬籠宿

妻籠宿から車で10分ほど南へ行くと、馬籠宿にたどり着きます。
車なら直ぐですが、歩いてここまで来るには、峠を一つ越えなくてはいけません。
当時の人達は、この2つの宿場町がとても遠かったはずです。

残念ながら、この馬籠宿は割りと現代化されていて、
当時の面影も若干薄れて来ています。

 しかし、当時の事を想像するにはとてもいい場所でした。

奈良井宿
奈良井宿

こちらは、山の麓の川沿いにある、奈良井宿。
道の幅が広く、割りと開けた印象の町です。

この奈良井宿は、宿場町の中では一番大きい方なのだそうですが、
今でも実際に住んでいる方が多くいらっしゃいます。

ですから、この道をあるいていると、普通に表札が掲げられていました。
現在お住まいの人に、色々話を聞きたかったです。

たこの木曽という場所は夏でも大変涼しい場所で、
殆ど、エアコンを使うことが無いそうです。
とても涼しい気候ですが、冬場は雪が沢山降る場所ですので、
冬の過ごし方が気になります。

今度は、冬場にこの場所を訪れられたらと思う次第です。

 


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