【サイト運営者紹介】

太田 周彰
株式会社住宅みちしるべ
代表取締役
太田周彰(おおたのりあき)

1級建築士
インテリアコーディネーター
福祉住環境コーディネーター
(2級)
CASBEE評価員

兵庫県芦屋市出身

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 CMサービス活動ブログ
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【マスコミ掲載履歴】
・2009/2/16「フジサンケイビジネスアイ」関西版
・2009/12/22「日本物流新聞」
・2010/5/12 「毎日新聞 くらしナビ」

【電子書籍】 ・省エネ健康住宅のプロがすすめる あなたの生活を変える!高気密・高断熱住宅とは!?
続きはコチラ

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震の被害に遭われた皆様、皆様は一人ではありません。
今、日本中の人々が皆様と共に復興に向かって共に力を合わせようとしています!


■経歴


兵庫県芦屋市出身。
阪神大震災で当時、欠陥住宅と指摘された実家の倒壊で、
建築主でもあった祖父を亡くした事をきっかけに建築を目指す。
神戸大学を卒業後、大手住宅メーカーに就職。
トップの成績であった住宅営業から始まり、現場監督を経て、
海外の生産拠点において会社の中枢組織である研究開発部に所属。

研究開発部では室内の住環境や住宅の総合環境性能を専門とし、
業界初の全館型床暖房を開発。第1回ハウスオブザイヤーの大賞受賞にも携わり、
免震住宅の開発も担当する。

起業後は欠陥住宅問題に携わり、被害者救済のための活動を通してその悲惨さを目の当たりにする。
他方、「大阪エコリフォーム普及促進地域協議会」を室内環境学の権威である
近畿大学岩前教授と共に立ち上げ、環境省の指定団体として省エネリフォームの普及啓発活動も行う。
欠陥住宅は、起こった後ではどうしようも無い事を痛感し、住宅CMサービスを開始

安全、安心な住宅を誰もが手に入れられる事を目標に住宅業界全体における自分の役目について日々考えている。

つとむ君家のマイホーム大作戦
夢のマイホームのために思い切ってこのサービスに15万円の投資をしたお父さんとお母さん。
返ってきたものは予想以上に大きかったんだって。
つとむ君家のマイホーム大作戦

そんな太田が家づくりのみちしるべとなる、「あなた主導」の家づくりはコチラ!

 

■太田の想ひ(長文になりますが、お付き合い宜しくお願いします。)


私、太田の自己紹介をさせて頂く際に必ずお話させて頂くことがあります。
それは、私が何故この住宅建築業界に身を置くようになったのかのいきさつです。

そもそも、私がこの道を進むようになったのは平成7年1月17日の出来事がキッカケでした。

この日付だけで直にピンと来る方もいらっしゃるかと思います。
そう、この日は私の生き方を大きく変え、考え方を変えた日となった、
あの阪神大震災があった日なのです。

私は当時まだ学生、家の事情で大阪の祖父の家で下宿生活をしていました。
私の実家は神戸のとなりの芦屋市というところにあり、その当時は両親と父方の祖父が住んでいました。

当時の実家は、父方の祖父が戦争を生き抜いて、高度成長期の時代に懸命に
働いて建てた今ではもう見かけることがほとんど無くなった、古いタイプの小さなアパートでした。

その1階に祖父と祖母が住み、2階の一室を私達家族が住んでいました。

いま考えると、もの凄く小さな居住スペースでした
(なんせ玄関から入って直が洗面所とキッチンと食事場でしたから^^)
が、それでも普通に生活するには充分でした。

当時、私が大阪の祖父の家で下宿をしていたのは、
あの阪神大震災があったちょうどその2週ほど前まで、
私の父の仕事の都合で両親が四国で生活を送っていて、
私自身は大阪の学校に通っていたからなのです。

そして、その年の初めにまた転勤が決まり、芦屋の実家に戻ったばかりだったのです。

実家に戻ってくるにあたり、お風呂をリフォームした際のことです。
リフォームの工事にあたった業者さんにこんな事を言われたそうです。

「この家は酷い手抜き工事の家ですね。」

と、祖父はそれを聞いて酷く落胆したそうです。

そして起こった、阪神大震災・・・

実家は全壊し、祖父は生き埋めとなって亡くなりました。
私にとって、私を最高に可愛がってくれた祖父は最愛の存在でした。

それから、半年ほど我々家族は私が下宿していた大阪の祖父の家で
避難生活を送る事になります。

地震が起こって2ヶ月ほど。私はほとんど眠る事が出来ませんでした。
目を閉じると、またあの揺れが起こりそうで怖かったのです。

私は眠れぬ夜を過ごすうちに様々な事を考えるようになりました。
最愛の祖父の死、しかも自分が汗水をたらして建てた家の崩壊によって・・・

祖父の無念を想うと、苦しくなりました。
そして、毎晩このようなことを考えているうちに、ある結論に至ったのです。

「もう、誰にもこんな思いをして欲しくない」

「家は安心して住めるべきものなんだ」と。

そうして、私は建築の道に進む事にしたのです。
そして、選んだ住宅業界。

私ははじめ、地震が来ても安心して住める家。
という事で「免震住宅」に取り組んでいる会社に就職しました。
その商品開発がしたかったからです。

入社して、最初に我々は同期全員で住宅営業をしました。
自分で言うのもなんですが、このときの成績は同期の間で
トップに位置していました。

ここで、家を建てようと言うお客さんが抱える不安な心理と
言うものを学んだと思います。

『こんなにも大きな不安を抱えて、家を建てようとされるのか』と。

そして、次に工事現場の監督。現場監督では、勿論住宅の建て方や
施工方法自体についても多くを学びましたが、もっと大きかったのは
施工をする職人さんの心理が見て取れた事です。

そこで、様々な人々が抱く様々な思いがある事を教えられました。

そして次に私にチャンスが巡ってきました。
入社の時に希望した「免震住宅の開発」を手掛けている海外の拠点への
転勤の誘いが来たのです。

私は、直に快諾をしその拠点へ飛び込んでいきました。

しかし、最初は回り道をさせられました。
というのも始めはその海外の拠点でも他部署である生産ラインの管理を
任せられたのです。

それは住宅設備の生産を行っている部署でそこで半年ほど仕事をしました。

勿論、ここでも物が出来る過程や、在庫管理の重要性など、
会社としての仕組みをよりよく学ぶ事が出来ました。

しかし、本来私はこれをしたいがために海外へ渡ったわけでは
ありませんでした。
海外へ渡って始めての年末、その生産ラインの統括者から当分の間、
そこで働くように言われました。

私は、入社時に免震住宅の開発がしたいと面接担当官
(当時の人事担当のトップ)に話した際、このように言われていたのです。

「免震住宅の開発拠点は海外にあるから海外転勤を受け入れられるか」と
いうことと「一級建築士の資格を落ちることなく、一回で合格する事」

これらの条件を提示された事を私はずっと覚えていました。
海外へ渡った年、私は初めて一級建築士の受験資格を得て海外へ渡りました。

海外での初めての生活と仕事。そして初めての受験。初めて尽くしでした。
海外でほとんど独学状態で一級建築士の資格の勉強をしました。
そして得た合格通知。

私は、認められるものと思っていました。

ですので、私は会社を辞めるつもりでこの時の上司からの話を 断りに行きました。
そうして数日たったある日。
商品開発の部署のトップの人間から移動命令が下されました。
「明日から開発に来い」と。

そこから、様々な商品開発を担当させて頂きました。
もちろん最後には免震住宅の開発も担当させて頂きました。

そして海外へ渡って数年が経ち、色々な事を経験させて頂いて
次のように考えるようになったのです。

良い商品を作るということは立派な事だけど、
始めの私の想いは遂げられているのかと。。。

私は会社を辞め、日本で独立する事にしました。
より消費者の立場に立った視点で仕事をするためです。
開業して私は次の立場をとる事にしました。

住宅を供給する側でも需要側でもない『第三者』と言う立場を。

まず最初に私が始めたのは、欠陥住宅で苦しんでいる方の問題解決の
お手伝いをすること。
そこでさまざまな「悲惨な思い」をしている方々の現状を目の当たりにしました。

そして、そのお手伝いをしているうちに気付いたのは
「既に出来上がってしまった家の問題を解決するだけでは、
再発を防ぐなんの助けにもならない」
という事。

そうして、恵まれた『住宅CMサービス』の産みの親、
若本さんとの出会いの機会。

私は直接広島で若本さんが行っているサービスの仕組みを聞いて
ビックリしました。

私が営業当時に抱いた想い、監督当時に抱いた想い、
会社を辞める時に抱いた想い、そして欠陥住宅問題を扱っていた時に抱いた想い、
これらを全て解決できる仕組みである事に気がついたのです。

このような想いを胸に『住宅CMサービス堺・和泉』を運営しております。
皆様、是非よろしくお願い致します!

長文にお付き合い頂きまして、有難う御座いました。


<一級建築士太田周彰>

つとむ君家のマイホーム大作戦
夢のマイホームのために思い切ってこのサービスに15万円の投資をしたお父さんとお母さん。
返ってきたものは予想以上に大きかったんだって。
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そんな太田が家づくりのみちしるべとなる、「あなた主導」の家づくりはコチラ!


株式会社住宅みちしるべ 取締役
木村 敏幸(きむら としゆき)

シックハウス診断士補
建築施工管理技士(2級)
エコピープル

福岡県北九州市出身

【ブログ】活動ブログ
 

■経歴
福岡県北九州市 出身

近畿大学九州工学部(現産業理工学部)を卒業後、
大手木造ハウスメーカーに就職。

就職1年目は売れない営業時代を過ごし、
住宅を売ることの難しさを知る。
2年目からは、本社へ異動。
当時問題となっていた
「シックハウス症候群」の対策を行う本社の専門部署で、
化学物質の濃度測定、分析、検証を通じて、
シックハウス症候群にならないための家づくりの研究を行う。
「シックハウス診断士」の資格を取得。

その後、本社 お客様相談室へ異動。
毎日かかってくるお客様からの相談やクレームを受け
家を建てる方の強い思いを実感する。
お客様相談室では、設備機器や専門性の高い質問を主に担当。

そして、海外の商品開発部署へ異動。
そこでは、24時間換気システムの開発責任者として
世界でもトップクラスの性能を誇る全熱交換型換気システムを
開発する。


起業後は、新築、リフォームの際の省エネ住宅設計アドバイザー
各種測定業務を専任。
また、大阪で安心してエコリフォームが行える環境を整えるため、
環境省の認可団体である
「おおさかエコリフォーム普及促進地域協議会」を発足。
事務局長として、協議会の運営を担う。

当地域協議会の活動の中で、
本来の姿である「消費者主導のリフォーム」が行えておらず、
多くの問題を抱える実態を経験し、「知識を持った第三者」の
存在が必要であることを実感。
今後、環境省や地方自治体、関係団体などと連携し、
消費者に正直で正確な情報を発信できるエコリフォームのマイスターの
認定制度の構築を進める。

「数をさばいていかないと儲からない」という住宅業界。
数をさばくために
「短期間で家づくりという大きな事業を進めてしまわなければならない状態では、
本当に納得の家づくりはできない」
との思いから、
「建てる人が知識をもって主体的に家づくりを進める」
そのサポート役である住宅CMサービスを開始。

今までの経験を活かした
「建てる方、その家族、施工する方。みんなが笑顔になれる家づくり」
を目指し、大阪でのサービス拡充を目指している。

趣味
 自転車
  ロードレーサー、マウンテンバイク所有。自転車通勤実施中。
 車
  エンジン音や排気音で一部車種の判別できることが自慢。
  現在は、ペーパードライバーのため、家族の車の洗車へ趣味変更。。。
  好きな車:356ポルシェ、アルファロメオ156 
 ドラム
  中学、高校とブラスバンド部のパーカッションに所属。
  バンド活動なども行い、海外赴任中のクリスマスパーティーで数千人の前で演奏。

自己紹介
 1978年生まれ
 B型

 大学に入学時、養子として現在の姓になる。
 2010年に結婚、長男誕生。
  

つとむ君家のマイホーム大作戦
夢のマイホームのために思い切ってこのサービスに15万円の投資をしたお父さんとお母さん。
返ってきたものは予想以上に大きかったんだって。
つとむ君家のマイホーム大作戦

そんな木村が家づくりのみちしるべとなる、「あなた主導」の家づくりはコチラ!