【サイト運営者紹介】

太田 周彰
株式会社住宅みちしるべ代表取締役
太田周彰(おおたのりあき)

1級建築士、インテリアコーディネーター
福祉住環境コーディネーター(2級)
CASBEE評価員

兵庫県芦屋市出身

■経歴
阪神大震災で当時の住居の倒壊で祖父を亡くした事をきっかけに建築を目指す。
神戸大学を卒業後、大手住宅メーカーに就職。
所属していた研究開発部では室内の住環境や住宅の総合環境性能を専門とする。
安全、安心な住宅を誰もが手に入れられる事を目標に建築業界全体における自分の役目について日々考えている。


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■太田の想ひ(長文になりますが、お付き合い宜しくお願いします。)


私、太田の自己紹介をさせて頂く際に必ずお話させて頂くことがあります。
それは、私が何故この住宅建築業界に身を置くようになったのかのいきさつです。

そもそも、私がこの道を進むようになったのは平成7年1月17日の出来事がキッカケでした。

この日付だけで直にピンと来る方もいらっしゃるかと思います。
そう、この日は私の生き方を大きく変え、考え方を変えた日となった、
あの阪神大震災があった日なのです。

私は当時まだ学生、家の事情で大阪の祖父の家で下宿生活をしていました。
私の実家は神戸のとなりの芦屋市というところにあり、その当時は両親と父方の祖父が住んでいました。

当時の実家は、父方の祖父が戦争を生き抜いて、高度成長期の時代に懸命に
働いて建てた今ではもう見かけることがほとんど無くなった、古いタイプの小さなアパートでした。

その1階に祖父と祖母が住み、2階の一室を私達家族が住んでいました。

いま考えると、もの凄く小さな居住スペースでした
(なんせ玄関から入って直が洗面所とキッチンと食事場でしたから^^)
が、それでも普通に生活するには充分でした。

当時、私が大阪の祖父の家で下宿をしていたのは、
あの阪神大震災があったちょうどその2週ほど前まで、
私の父の仕事の都合で両親が四国で生活を送っていて、
私自身は大阪の学校に通っていたからなのです。

そして、その年の初めにまた転勤が決まり、芦屋の実家に戻ったばかりだったのです。

実家に戻ってくるにあたり、お風呂をリフォームした際のことです。
リフォームの工事にあたった業者さんにこんな事を言われたそうです。

「この家は酷い手抜き工事の家ですね。」

と、祖父はそれを聞いて酷く落胆したそうです。

そして起こった、阪神大震災・・・

実家は全壊し、祖父は生き埋めとなって亡くなりました。
私にとって、私を最高に可愛がってくれた祖父は最愛の存在でした。

それから、半年ほど我々家族は私が下宿していた大阪の祖父の家で
避難生活を送る事になります。

地震が起こって2ヶ月ほど。私はほとんど眠る事が出来ませんでした。
目を閉じると、またあの揺れが起こりそうで怖かったのです。

私は眠れぬ夜を過ごすうちに様々な事を考えるようになりました。
最愛の祖父の死、しかも自分が汗水をたらして建てた家の崩壊によって・・・

祖父の無念を想うと、苦しくなりました。
そして、毎晩このようなことを考えているうちに、ある結論に至ったのです。

「もう、誰にもこんな思いをして欲しくない」

「家は安心して住めるべきものなんだ」と。

そうして、私は建築の道に進む事にしたのです。
そして、選んだ住宅業界。

私ははじめ、地震が来ても安心して住める家。
という事で「免震住宅」に取り組んでいる会社に就職しました。
その商品開発がしたかったからです。

入社して、最初に我々は同期全員で住宅営業をしました。
自分で言うのもなんですが、このときの成績は同期の間で
トップに位置していました。

ここで、家を建てようと言うお客さんが抱える不安な心理と
言うものを学んだと思います。

『こんなにも大きな不安を抱えて、家を建てようとされるのか』と。

そして、次に工事現場の監督。現場監督では、勿論住宅の建て方や
施工方法自体についても多くを学びましたが、もっと大きかったのは
施工をする職人さんの心理が見て取れた事です。

そこで、様々な人々が抱く様々な思いがある事を教えられました。

そして次に私にチャンスが巡ってきました。
入社の時に希望した「免震住宅の開発」を手掛けている海外の拠点への
転勤の誘いが来たのです。

私は、直に快諾をしその拠点へ飛び込んでいきました。

しかし、最初は回り道をさせられました。
というのも始めはその海外の拠点でも他部署である生産ラインの管理を
任せられたのです。

それは住宅設備の生産を行っている部署でそこで半年ほど仕事をしました。

勿論、ここでも物が出来る過程や、在庫管理の重要性など、
会社としての仕組みをよりよく学ぶ事が出来ました。

しかし、本来私はこれをしたいがために海外へ渡ったわけでは
ありませんでした。
海外へ渡って始めての年末、その生産ラインの統括者から当分の間、
そこで働くように言われました。

私は、入社時に免震住宅の開発がしたいと面接担当官
(当時の人事担当のトップ)に話した際、このように言われていたのです。

「免震住宅の開発拠点は海外にあるから海外転勤を受け入れられるか」と
いうことと「一級建築士の資格を落ちることなく、一回で合格する事」

これらの条件を提示された事を私はずっと覚えていました。
海外へ渡った年、私は初めて一級建築士の受験資格を得て海外へ渡りました。

海外での初めての生活と仕事。そして初めての受験。初めて尽くしでした。
海外でほとんど独学状態で一級建築士の資格の勉強をしました。
そして得た合格通知。

私は、認められるものと思っていました。

ですので、私は会社を辞めるつもりでこの時の上司からの話を 断りに行きました。
そうして数日たったある日。
商品開発の部署のトップの人間から移動命令が下されました。
「明日から開発に来い」と。

そこから、様々な商品開発を担当させて頂きました。
もちろん最後には免震住宅の開発も担当させて頂きました。

そして海外へ渡って数年が経ち、色々な事を経験させて頂いて
次のように考えるようになったのです。

良い商品を作るということは立派な事だけど、
始めの私の想いは遂げられているのかと。。。

私は会社を辞め、日本で独立する事にしました。
より消費者の立場に立った視点で仕事をするためです。
開業して私は次の立場をとる事にしました。

住宅を供給する側でも需要側でもない『第三者』と言う立場を。

まず最初に私が始めたのは、欠陥住宅で苦しんでいる方の問題解決の
お手伝いをすること。
そこでさまざまな「悲惨な思い」をしている方々の現状を目の当たりにしました。

そして、そのお手伝いをしているうちに気付いたのは
「既に出来上がってしまった家の問題を解決するだけでは、
再発を防ぐなんの助けにもならない」
という事。

そうして、恵まれた『住宅CMサービス』の産みの親、
若本さんとの出会いの機会。

私は直接広島で若本さんが行っているサービスの仕組みを聞いて
ビックリしました。

私が営業当時に抱いた想い、監督当時に抱いた想い、
会社を辞める時に抱いた想い、そして欠陥住宅問題を扱っていた時に抱いた想い、
これらを全て解決できる仕組みである事に気がついたのです。

このような想いを胸に『住宅CMサービス堺・和泉』を運営しております。
皆様、是非よろしくお願い致します!

長文にお付き合い頂きまして、有難う御座いました。


<一級建築士太田周彰>

株式会社住宅みちしるべ専務取締役
木村 敏幸(木村 敏幸)

シックハウス診断士補
建築施工管理技士(2級)

福岡県出身

■経歴
近畿大学を卒業後、大手住宅メーカーに就職。
シックハウス症候群等の研究、開発部に所属。
室内の住環境を専門に扱い、健康、快適な住まいをお客様に提供するためのアドバイザーとしての シックハウス診断士補資格を取得。
自身でもチームマイナス6%に加盟し、「子供たちに綺麗な地球を」をモットーに自転車通勤実施中。


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